・・・「ふぉれすと鉱山になって」・・・
大学に教員として着任して間もない頃,釣り場を探す中,鉱山周辺を初めて知った。貯水池から鉱山周辺に至る道程は,いわゆる道外の人が思う北海道らしいスケール感があり,幌別川沿いの地層や,如何にも釣人にはおいしそうな環境は感動的であったことを思い出す。
「ふぉれすと鉱山との接点」は,ある学生と自然体験に関わる研究に取り組む中,身近な自然体験施設の存在を知り,学生に「見学へ・・」というのが,「初めて」のことであった(間接的であるが)。
次の「接点」は,上記以上に直接的であった。「家族」がふぉれすと鉱山と接触したのである。
そして知らぬ間に・・・
「家族」は「ふぉれすと鉱山になって」いた。
その頃から,家族のテリトリーとなった「ふぉれすと鉱山」は,私が干渉すべきでない空間として捉え,意識的・無意識的に接触を控えてきた。しかし以降,私の知る多くの人たちが「ふぉれすと鉱山」と接触し・・・そして・・・「皆」が「ふぉれすと鉱山になって」いった。
一人の教え子O君は,就職先を模索する中,鉱山のイベントに訪れ,「ふぉれすと鉱山」と接触することになり,それを契機に自然体験に関わる仕事を目指し,今年春に鉱山の非常勤スタッフとなった。
そう・・・「彼」も「ふぉれすと鉱山になって」しまったのである。
その教え子の頼みのもと,このプロジェクト(PJ)が始まることとなった。
そしてなぜか・・・「私」も「ふぉれすと鉱山になって」しまうようである。(PJで一緒に協働している研究室学生もまた・・・。)
私の中で,今回のPJを含め,「ふぉれすと鉱山」との関係の「理想」はまだまだイメージしきれていない。すなわち,私にとっての・・・「ふぉれすと鉱山になって」しまう・・・とはどのようなものなのか・・。ただ,多くの「ふぉれすと鉱山になって」しまった人々も,それぞれの経験や特技等を活かし,また,様々な模索を行い,かつ,それを「楽しんでいる」のであろう。私もその流れに従うのみなのだろうと思っているところである。
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市村恒士
学生時代からサーフィンにハマり、波を求めて室蘭の地にやって来て7年目。今年度から自分の研究室を持ち、忙しくも充実した日々を過ごす。体育会系の酒好き人間。酔うと学生に関節技をかけるクセもあるが、その面倒見の良さから学生達に慕われている。専門は都市緑化計画など。